みなさんはシェアハウスにどんなイメージがありますか?
「ただ家をシェアするだけの関係」「知らない人と住むから怖い」「不便そう……」
住んだことのない人からすると、いまいち実態の掴めない暮らし方かと思います。
一方住んだことのある人に感想を聞くと「人がいるから安心」「寂しくない」「退去してからも当時のメンバーとは仲が良い」など、ポジティブな内容が多々あります。
シェアハウスは住む前と住んだ後でイメージがガラッと変わりやすいです。
千葉県の習志野にあるシェアハウスオーナー・原さん夫妻もそのひとり。息子さんがシェアハウスに住む、友人がシェアハウスを運営するなど身近にシェアハウスという存在があり、見学する機会が何度かありました。
そこで雰囲気を知って「友だちでも家族でもない、ゆるやかな関係性が良いな」と感じたそう。
そこでご自身の実家を取り壊すか悩んでいたことも重なり、シェアハウスに改装することを決めたのです。
今回は原さんご夫妻に、シェアハウス運営前のイメージや不安、改装時にこだわったポイントなどお伺いしました。
シェアハウス運営を考えている人は、開始前の不安やコンセプト作りなど参考に、習志野エリアでシェアハウスを探している人は雰囲気を知る手がかりにしてみてください。
世界各国で生活し、千葉に帰ってきた原さん夫妻
ーまず自己紹介をお願いします。
:原 靖浩(はら・やすひろ)です。東京の豊島区で生まれましたが、小学校に入って2年目の4月、父親の転勤の都合で千葉県に引っ越し、その後大学を卒業して社会人になり、海外駐在が決まって渡航するまで千葉県民として生活していました。このシェアハウスになる家は、就職する90年代前半まで住んでいた私の実家です。
:原 一代(はら・かずよ)です。私は埼玉県秩父市の出身で、高校生まで埼玉で生活していました。短大進学と同時に東京に出て、そのときに靖浩さんと知り合い結婚してから一緒に生活しています。彼の実家には私も数年だけ住んだことがあります。
ー靖浩さんは大学を卒業してすぐの頃、どんなお仕事をされていたんですか?
:信託銀行で海外マーケットを担当していました。だから海外駐在が長く、ニューヨークやロンドン、香港などに住んだことがあります。
:その後銀行の合併を機に、不動産の仲介業務の担当になりました。海外から物件を購入しに来た投資家に対し、値決めや手数料の交渉、事務手続きなど契約の取りまとめをする立場ですね。主にオフィスや倉庫、ホテルといった建物を購入しに来日するアジアの投資家がお客さまでした。
ー海外のお客さんだと、やり取りは基本的に英語になるんですかね。
:英語ですね。お客さまは台湾や香港、シンガポールなど中国語を話す人が中心ですが、私たちが日本語を話すため、間を取って世界共通言語の英語でやり取りをしていました。海外駐在の経験からブロークンな英語ならなんとか話せましたが、手数料の調整など交渉が必要な場面も多く、なかなか大変な経験もしましたよ。
ーそうだったんですね。海外駐在は一代さんも一緒に生活されていたんですよね。何か思い出はありますか?
:カナダのオタワ在住時、世界の首都の中で2番目に寒いと言われているオタワの寒さを経験したことですね。冬は−20℃なんて普通でした。
:そこに風が吹くと体感温度は通常の気温からさらに−20℃ほど寒くなるから、厚着は必須。でも、その体感温度は外に出てみないとわからないんだよね。
:そうそう。それで毎朝、窓から首を出して息を吸って体感温度を確認するルーティーンがありました。鼻が「ツーン」としたら−20℃以下のサインで「厚着しなきゃ!」とわかるんです。これを現地のカナダ人に教えてもらい、毎朝確認していました(笑)。
ーおもしろい確認方法ですね(笑)。現在は日本で生活されていますが、お二人ともどのようなお仕事をされていますか?
:私はホテルの開発・リブランディングに関わっています。経営を回復させたいホテルから依頼を受け、お客さんが増える方法を考える。例えばコンセプトをラグジュアリーに変えるとか、ペット可のホテルにしてみるとか。方向性や契約も取りまとめる立場なので、不動産の仲介業やシェアハウスオーナーの仕事と少し似ていますね。
:私はお菓子工場でケーキを作る仕事をしています。楽しくて楽しくて、毎日ワクワクしながら通っています(笑)。
スヌーピーやチャーリー・ブラウン、村上春樹などこだわりが詰まったシェアハウス
ーこのシェアハウス内でまず目に入るのがスヌーピーですが、もともとお好きだったんですか?
:実はここはもともと関東ローム層上に広がる落花生畑だった台地で、そこに私の実家が建って。さらに中学生の頃、NHK放送の影響もあってスヌーピーの漫画やグッズが流行し、母の知り合いにもピーナッツファンがいて、その影響で母もスヌーピーに詳しくなりました。その名残でシェアハウスにもグッズを置いています。
:落花生畑だった過去とスヌーピーの影響からシェアハウスの名前も「ピーナッツシェアハウス習志野/三山」にしているんですよ。
ーそういうことだったんですね!
:特に壁の質材にはこだわっていて、東京・町田にある「スヌーピーミュージアム」から調達しているんです(笑)。さらに今後の計画として、2024年の夏にアメリカ・サンフランシスコ郊外にあるスヌーピーの作者に関する展示をしている「チャールズMシュルツミュージアム」を訪問しようと考えています。
ーえ、アメリカまで?
事前に作者夫人のジーン・シュルツさん、他スタッフに手紙やメールを出してみて、ウォールアートやグッズなど本場アメリカの資材を調達したり、公認シェアハウスとして登録されるために何をすれば良いかを相談したりできれば、と。そのやり取りを含めて、シェアハウスに住んでいるみなさんと共有して盛り上がることができれば、楽しみも広がるのではと想像しています。
ーすごいこだわりですね。信託銀行に勤められていたときの、海外のお客さまとの交渉経験が活かされていると感じます。
:シェアハウス周辺では、近くに村上春樹のエッセイに登場する陸上自衛隊の習志野駐屯地があるところも魅力です。実は習志野エリアは昔、村上春樹が住んでいたと言われているんです。当時書かれた『村上朝日堂 はいほー!』(文化出版局、1989年/新潮文庫、1992年)に収録されている『落下傘』という話に、習志野駐屯地にある落下傘の降下練習に使う鉄塔が取り上げられていて。その鉄塔が家から見えます。
:「村上春樹のエッセイで取り上げられている場所が見える」というと、’’ハルキスト’’に響くのかなと考えています。
ーいろいろなシェアハウスがありますが、作品の舞台に近い物件はめずらしい。唯一無二の魅力ですね。
:その他、このシェアハウスは駅からは少し遠いですが、周辺に買い物できる場所が揃っています。歩いて数分でセブンイレブン、7〜8分でマルエツという24時間営業のスーパーが利用できる。ドン・キホーテもありますからね。
ー便利でかわいい、なかなか魅力的なシェアハウスです。
シェアハウス運営は実家の相続のタイミングと、学生時代の友人の存在が大きい
ーあらためて、ご実家をシェアハウスにしようと決めたきっかけは何だったんですか?
:相続の話が出たことですね。親の体の調子が悪くなり、家を取り壊すか、新たな活用方法を探すか、周囲の人に相談していました。「売却するのが良いんじゃない?」とアドバイスをもらうことが多く、実際に売却する人もいる。ただ、私は20年近い思い出の詰まった実家だからか、取り壊すと決断できませんでした。
ーなかなか簡単には決められないですよね。そこからどうしてシェアハウスに?
:実は息子がシェアハウスに何件か住んだことがあり、見に行ったこともあるんです。だから雰囲気は以前から知っていて。
ーそうだったんですね!どういうシェアハウスだったんですか?
:最初は千葉県市川市南部のほうにある、少しコンパクトなシェアハウス。その後、当時新築の3棟ほどある大きなシェアハウスに移り住んでいました。
遊びに行ったとき、そのシェアハウスには年齢や性別、職業も違ういろいろな人が集まっていて、普通に生活していたら出会わない人もいると知りました。一見仲良くするのは難しいと思いきや、友達でも家族でもない距離感でゆるく付き合っている様子を目の当たりにして。かといってドライな訳でもなく、一緒に住んでいるからか「友達でもこんなこと話さないのでは?」と思うくらいディープな話をしていることもある。
:仕事とか恋愛とかね。シェアハウスの外に出て飲みに行ったり旅行したりすることもあったみたいで、大学のサークルのように楽しそうで。
:リビングがあるからいつでも話せるし、過ごす時間が長い分打ち解けやすいんでしょうね。ただ同じ家を共有して住んでいるだけでなく、友達以上の深い付き合いをしながら生活している様子が良いな、という印象を当時抱きました。息子も「楽しい」と話していたしね。
ーすごく良いシェアハウスに住まれていたんですね。
:息子がシェアハウスで一緒に住んでいたインド人を家に連れて来たこともありましたよ。カレーを振る舞ったら、おいしいと言ってくれました(笑)。
ーそれはすごい(笑)。そこから自分たちも「シェアハウスをやろう」と決めたのは?
:「実家を残した後、どうやって活用しよう?」と考えていたら、船橋市にあるメリシェアハウス@Hasamaのオーナー・浅川さんがシェアハウスを始める話を聞きました。実は彼女は中学から高校までの同級生なんです。そのオープン時に「良かったら見に来ない?」と誘われて見学に行ったことがあって。
:あなたは浅川さんの夫とも学校が同じだったんだよね。
:同じ学校だけれど、当時はそこまで交流はありませんでした。ただ浅川さんはいつもクラスの中心にいて、文武両道のしっかりした人。信頼できる雰囲気がありました。卒業後に仲良くなり、特に浅川さんの夫とはよく飲みに行っていましたね。
僕が不動産の仕事をしていることもあって彼とは空き家活用の話をしたこともあったから、「興味がありそう」と呼んでくれたんだと思います。
ー息子さんのシェアハウスは見たことがあるものの、別のシェアハウスを見てどうでしたか?
:メリシェアハウスは若い人が中心で海外の人も住んでいて、本当に多様。でもそんな出身や年代の異なる人たちが集まって交流する場面が多くて驚きました。ゆんたく(※1)にも参加させてもらう中で「空き家を住む場所として提供し、さらに交流の場として使う方法があるんだ!」と感じたことがいちばんの衝撃だったかな。
実家の相続の話が出たタイミングでもあったので、「実家もシェアハウスにできるのでは?」「思い切ってやってみよう」と決めました。
:浅川さんに出会わなかったら始めなかったかもしれないね。
:昔から知っている人が取り組む姿から刺激を受けるし、なんとなく安心できた。ひだまりと一緒に運営することも、浅川さんの紹介ならきっと大丈夫だろうと。絶大な信頼がありましたね(笑)
ー始める前から雰囲気はなんとなく知っているところに長年の友達の姿もあり、確かに安心して始められますね。
:そうですね。浅川さんには本当に感謝しています。
※1…ゆんたくとは、沖縄の方言で「おしゃべり」や「団らん」を意味する言葉。ひだまりでは「共同生活をする中でもっとも大切なことはコミュニケーションだ」という考え方から、みなさんが感じたことや意見を話しやすいよう、住人同士がおしゃべりを楽しむ場を提供しています。
→「ひだまりは月一回の『ゆんたく』を推奨してます。」
今は少ない床柱のある和室で、多様な人が集まる団らんを
ーご実家はシェアハウスオープンに向けて改装されていますが、内装やコンセプトでこだわりがあれば教えてください。
:まず「和室を壊したくない」という強い想いがありました。家を取り壊せなかった理由にも通じますが、母がこの和室をすごく気に入っていたんです。その場所を残して、活かしたかった。
ー家全体はもちろん、和室に特に思い入れが強かったんですね。
:茶室にある床柱(※2)、最近の住宅には作られていないらしいんです。床柱に使う木自体も少なく「注文しても再現できないかもしれない」と聞いて、壊すことに抵抗を感じました。あと、囲炉裏も残せたら残したいなと考えていましたね。
正面左側にある棚のような場所の、茶色い柱が床柱。最近の住宅で見かけることは少ない
:お母さんの思い出を残せるなら残したい。その想いが強かったよね。
:僕のこだわりだね。さらに母は茶道の教授をしており、この和室を茶室として近所の若い人に茶道を教えていました。週に1〜2回、すごい数の人が出入りして。お茶を教える場だから団らんではないけれど、立場の異なる人が1つの場所に集まる様子が浅川さんのシェアハウスで見た’’ゆんたく’’と近いな、と感じて。
:年齢や性別、職業も違ういろいろな人が住んで、集まる空間。それを和室を使って実現できるかもしれないと思いました。
:そこから出会いが広がって、友達でも家族でもない関係性を築いていく。この’’家’’という共通項で結ばれる人同士、昔の茶道教室のような雰囲気が生まれたらうれしいよね。形は違えど、母の思い出も残り続けることができるのかなと思います。
ーお母さんが取り組んでいた茶道教室の集まりは、まさにゆんたくのような場所ですね。シェアハウスならその風景も復活できそうです。
※2…床柱とは、和室によくある床の間(床から一段上がった掛け軸などを飾るスペース)の片方の脇に立つ柱のこと。天井と床をつなぐ役割はなく、空間を意識させる飾りの要素が強い。
不思議な絆で結ばれる人同士で、生まれ変わった実家を盛り上げたい
ー原さんご夫妻はシェアハウスを見たこともあるし、運営にそこまで心配はなかったと思いますが、それでも不安なことはありませんでしたか?
:この家は駅からは遠いし都会でもないから「人が集まるか」という不安はありました。ただ、ひだまりのことは浅川さんから紹介されているし、私は不動産の仕事の経験もあるし、きっと大丈夫だろうと安心感もあって。心配もあるけれど習志野エリアで働いている人、近くの学校に通う学生など、近隣の人には需要があるのではないかと考えています。
:このあたりは大学もいくつかあるし、学生を見かけることがよくありますからね。地方から進学で引っ越す学生なんかは、いきなり一人暮らしをするよりは安心して生活できるかもしれない。
:実は近所の人もシェアハウスのオープンを楽しみにしてくれているんです。取り壊しを考えていたときに相談していたので、「残すことになって良かったね」「若い人が来てくれると良いね」と関心を持ってくれていて。
ーそれはすごく良い関係性ですね。
:オーナーの私たちはもちろん、この家を知っているいろいろな人が応援してくれています。ただ、まだまだ発展途中。すべてに応えられるかはわかりませんが、一緒に飾り付けを考えたり改造したり、このシェアハウスを一緒に盛り上げたい人はより楽しめると思います。
ーさらにスヌーピーや村上春樹など、ファンであればなお良し、ですね。
:そうですね。こういう人が良いという希望は特にないけれど、ファン同士であれば話も合うと思います。
:結果的に住む人や近所の人、いろいろな人がこのシェアハウスで’’ゆんたく’’して、交流してくれたらうれしい。年齢や性別、職業はもちろん、国籍も関係ないから海外の人も大歓迎。
:オーナーの私たちも程よい距離感と関係性で付き合えたら良いし、反対に必要なときは海外経験など体験をシェアすることもできるし。そういう家族でも友達でもない、不思議な絆で結ばれる人が楽しめる場所になれば良いな、と感じます。
あらゆる人が交わる場を、思い出と歴史の詰まったシェアハウスで実現する
今回はピーナッツシェアハウス習志野/三山のオーナーである原 靖浩さん、一代さんご夫妻に話を聞きました。
ご実家の相続が発端ではありましたが、息子さんがシェアハウスに住んでいたり、ご友人がシェアハウス運営を始めていたり、シェアハウスが身近にあったお二人。その存在がなくても、いつか何かしらの形でシェアハウスに関わっていたのでは、と思う立ち上げの経緯でした。
「信頼できる友人がやっているから大丈夫」「どんな人でも大歓迎」など、誰に対してもフラットでポジティブな姿勢を崩さない原さんご夫妻。その空気感が「多様な人が交流し、ゆるくつながる場所を作りたい」という言葉の信ぴょう性をさらに高め、本当にそんなシェアハウスになるんだろうなと感じさせました。
スヌーピーや村上春樹などこだわりもつまっており、ピーナッツシェアハウス習志野/三山に偶然集まった人が作り上げるシェアハウスはきっと交流が盛んになること間違いなしでしょう。
今回紹介したシェアハウス「ピーナッツシェアハウス習志野/三山」はまだまだ入居を受け付けています(※2024年1月時点)。見学したい、どんなシェアハウスなのか気になる方はこちらからご覧ください。