今回は、熊本に新しくオープンする「由来ハウス」のオーナー・田尻由貴子さんにインタビューしました!
田尻さんは、熊本県にある慈恵病院で始まった「赤ちゃんポスト」に関わった方です。シェアハウスのことはもちろん、赤ちゃんポストが誕生するきっかけや当時の活動について、お話を聞きました。
※赤ちゃんポストの創設者である蓮田太二氏が、10月25日にお亡くなりになりました。ご逝去を悼み、ご冥福をお祈り申し上げます。
→「由来ハウス」の詳細はこちら
https://sharehouse-hidamari.com/yuraihouse
田尻さんの経歴
ーこのインタビューを見ている方に田尻さんの自己紹介を軽くお願いします。
田尻由貴子です。私は看護職をしていました。
最初は熊本にある慈恵病院で助産師として3年働いて、結婚したタイミングで「助産師は夜勤があるから続けにくい」と考えて、保健師になりました。
保健師として楽しく働いていたのですが、突然移動の話を受けたんです。町立病院の総婦長になる話があって、最初は「えー!」と思いました。でもそういう経験をするのも良いなと思って、町立病院の総婦長になりました。
ーもともとは公務員だったんですよね?いきなり民間の病院に移動したんですか?
そうですね、公立です。町の病院なので、町長辞令です。
ー初めて聞きました。でも、言われてみるとそうですね。
ええ。保健師も楽しかったのですごく悩んだんですけどね。
町立病院で働き始めてからは「病院を改革しよう!」という気持ちで働いていました(笑)。
保健師の経験をいかして、訪問看護のモデル事業を受けたり、在宅医療に力を入れたり。あとは病院全体を一般病床と介護病棟に編成し直しました。
そのタイミングで介護保険が作られて、在宅介護新センターも配置されて。
だから町立病院に訪問看護ステーションと在宅介護支援センターを併設するなど、地域の人が住みやすいまちづくりを達成できた感覚があります。
助産師に戻った2000年と蓮田先生との関わり
そんな風に働いているとき、慈恵病院の蓮田先生から「うちにきてくれ」「今度は産後うつになるお母さんを助けてほしい」といわれたんです。
悩みましたけど、母子を診るのも大事だなと思ったので、もう1度助産師に戻ろうと決断しました。そして、2000年に慈恵病院の看護部長として招へいされたんです。
ーそれは民間にですか?
民間です。公務員から民間で働くって、まわりからは反対されました。
悩みましたけど、蓮田先生には助産師のときにすごくお世話になりましたし、蓮田先生のお役に立てたら嬉しいかなと思って。
あと、実は仲人さんだったので(笑)。主人も蓮田先生のいうことであるなら反対もせず、私が慈恵病院で働くことを応援してくれました。
ー慈恵病院はその前も働かれていたんですよね?
うん、助産師として。蓮田先生がまだ若い頃、産婦人科で、私は助産師としてともに働いていました。育ててもらった恩があります。だから先生のお役に立てるのであればと思って、慈恵病院に行きました。
ーそんな風に田尻さんが選ばれる理由って何か思い浮かびますか?次々にキャリアアップされているので、要は「なんで私が呼ばれたのか?」など、考えてらっしゃるのかなと。
これまでの仕事や活動を評価してもらえたんだと思います。
さっきお話したように仲人ということもありますけど、先生は私のことをずっと見てくださっていました。
私は菊水町で働いているときに訪問看護のモデル事業などを次々と作っていましたが、これは熊本で第1号なんです。そういう頑張っている姿でしょうか。
それと慈恵病院はカトリックの病院で、私はずっとシスターから教育を受けていたんです。そういう姿勢も評価されたと思います。
ーなるほど。
「産後うつ」への取り組み
慈恵病院に移動してからは、産後うつに一生懸命取り組みました。
産後うつの予防は、私にとっては何も難しいことではなかったんです。保健師時代に赤ちゃん訪問などの経験があったので、菊水町での取り組みをそのまま慈恵病院でも頑張ればいいのかと思って。
ただ、病院に勤めている助産師や看護師が地域に出て行くことはまだ抵抗があったんです。
そのときにちょうど、国から助産師教育のモデル事業というものがおりてきました。それに手を上げて、院内で助産師の教育をして、病院の助産師が地域に出て受け持つ体制を整えたんです。
「あなたが担当した妊婦さんがちゃんと家に帰ってからちゃんと子育てができるか」を確認する流れに変えました。
というのも地域では、保健師がずっと母子について見ていたんです。そして、産後うつの尺度が高い人を優先的に訪問して、子育てができるようにしました。
ただずっと慈恵病院から派遣するわけにはいかないので、地域の保健師にバトンタッチ。その体制がうまくいったので、相談業務も同時に始めました。
赤ちゃんポストにつながるドイツでの視察
相談業務の中で、「予期しない妊娠」の相談も受けていたんです。
そして、日本にある生命尊重センター(http://www.seimeisontyou.org/)の呼びかけで、私と蓮田先生が2004年、ドイツに視察に行くことになりました。
ドイツには「ベビークラッペ」という赤ちゃんポストと似たものがあると聞いていたんです。
実際に視察して2人とも感動したのは「ドイツ人の命に対する姿勢、考え方」。命を1番に考えているのはもちろん、さまざまな人が同じ取り組みをしていたんです。
ベビークラッペがドイツで誕生したのは2000年ですが、2004年にはすでに全国70ヶ所に広がっていました。それもカトリックの病院、公的な病院、保育園など、公立・民間に関係なく、さまざまな機関が取り組んでいて。
私たちが視察した4ヶ所も、すべて設置の主体が違うところでした。
ドイツのベビークラッペで私が印象的だったのは、「相談業務をすごく重視しているところ」「みんなが母子の育て方や選択肢に真摯に寄り添っていたこと」の2つ。
例えばマザーチャイルドハウスっていう、匿名出産した女性が一定期間住める場所があるんです。赤ちゃんを育てるか、人に託すか、養子に出すか、考えるんです。
私が感動したのは、相談を受けている牧師さんがすごく真摯に寄り添っていたこと。それがすごく印象的でした。
ただ帰国してから、「日本で赤ちゃんを捨てるっていう問題があるのか」、そこが疑問だったんです。
赤ちゃんポストができるまで
「ドイツの取り組みはすばらしいけれど、日本では必要ないよね」と帰ってきました。
でも、翌年の2005年から2006年にかけて、熊本県で赤ちゃんを捨てる事件が立て続けに3件も発生したんです。
高校生がトイレで産み捨てた、パーキングエリアに赤ちゃんが捨てられた、あとは県南でまだ10代の女の子が赤ちゃんを産み捨てた。
その事件があって、蓮田先生が「田尻くん、ドイツのベビークラッペを作ろう」とおっしゃって、私も同意しました。「危険な場所に捨てることなく、せっかく生まれた赤ちゃんを安全なところに預けにおいで」というスタンスで作ろうと考えたんです。
ただ簡単なことではないので、まずは心理相談に行ったり、警察にも相談に行ったりしました。
ーそうですよね。法律とか。
いろんなところに相談して、市とはかなりやり取りしました。
最終的には市長さんが「命が救われるのであれば、許可しないわけにはいかないだろう」と。
法律的にそういう前例がないけれど、赤ちゃんの命を救うのに強固に反対もできない。用途変更として、許可がおりました。
用途変更なので、病院の一角を赤ちゃんを預ける場所、そして相談室にしました。だから許可は「新生児相談室」として許可されているんです。
「赤ちゃんポスト」で許可がおりてるんじゃない。でも相談できない人が相談できずに、そこに赤ちゃんを置いていく。
ーおお、すごいですね……。
そういうことで仕方ないでしょう、ということ。今もその解釈です。
ー話が衝撃というか……ちょっとすごい話です。
私はそこに定年まで関わりながら、後継者育成などにも取り組みました。
相談で救った命は8年間で230人
ー何人の方をお受け取りされたんですか?
100は超えていました。もちろんゆりかごに預けられた赤ちゃんの命も救えましたが、私の中では相談で救えた命が多いと認識しています。私の8年間で230人、自分で育てると決断した人もあわせると500人くらいです。
自分で育てる以外だと、養護施設、乳児園に預けることになった人、特別養子縁組の制度を活用する人もいます。特別養子縁組は昭和63年にできた制度で、子供に恵まれない家庭のご夫婦がその赤ちゃんを実子として育てるもの。養子ではなく、実子。
というのも私は看護学校だけじゃなくて、大学で福祉も学んでいたんです。その中で特別養子縁組を知っていたので、「これを利用しよう」と思ったんですね。
たくさんの命が救えましたけれど、退職後も女性の教育が必要と思い、熊本で「胎教子育てスクール」(http://www.studylife-kumamoto.com/taikyo/)を開校しました。
あとは講演依頼で、人権や命、子育てについて話しながら「命が大事」というメッセージを伝え続けています。相談業務も、一般社団法人スタディライフで続けていました。
70歳のときに第一線はひかせてもらって、その頃から娘の助産院を手伝いながら、産後ケアなどを一緒にしていました。
由来ハウスを作ろうと思ったきっかけ
ーじゃあ由来ハウスは、助産院と住居で作られたものですか?
そうですね。去年娘が沖縄に移住して、助産院のスペースが空いたんです。名前を「由来助産院」から「由来ハウス」に変えて、最初は民泊を始めました。
それも女性の拠り所として始めたんです。これまでの仕事で赤ちゃんを手放した人もいますが、その女性が本当に生き直しができるように、彼女たちが引きずりすぎてはいけないと思って。
反省はしないといけないけれど、新しい人生に踏み出すためにも「何か困ったときは相談しておいでね」「名刺をお守りにしなさいね」と名刺を持たせてやってるんですよね。
慈恵病院を退職したからといって、「終わってはいけないな」という責任感が私の中にあるんです。
ー「いつでもおいで」って言ってますもんね。
言ってますし、田尻由貴子と検索すると私の居場所がわかる。だから私の拠り所でもあり、これまで悩み相談を受けた女性の拠り所として、由来ハウスを続けたいと思っていたんです。
ひだまりとシェアハウスを始めるきっかけ
ーその中でひだまりを知った(依頼した)きっかけは何ですか?
コロナで民泊がダメになる中でも、由来ハウスを残したいと思ったからです。
新型コロナの影響で外国人のお客さまの宿泊が減りました。そのあと何に使おうかと考えていたけれど、やっぱり女性の拠り所にしたい。
以前、「IPPO(https://ippo-support.net/)」というシェアハウスのお手伝いをしていた経験から、シェアハウスというのがすぐに浮かんだんです。
ネットで検索したら林田さんのひだまりを見つけて、「お会いしたいです」と伝えたら、林田さんが来てくださいました。
林田さんからひだまりの趣旨とか、シェアハウスを作る理由を聞いて、共感するものがいっぱいあったんですよ。
林田さんはただお家を提供するだけじゃなくて、「その人の人生を支援したい」とおっしゃっていて、私の生き方と共感するものがあると思い、支援してもらうことを決めました。
共同生活について
ーありがとうございます。
もともと民泊をされていたので他人との交流は多いかと思うのですが、由来ハウスは女性専用シェアハウスですよね。他人との共同生活になるんですけど、そこに不安はないですか?
全然ないです。
ーないですか(笑)
IPPOといでシェアハウスに関わった経験があること、そしてみんなのおばあちゃん役になりたいから。
年齢的にシェアハウスに来る人たちのお母さん役、おばあちゃん役になれたら嬉しいなあと考えています。だから不安はまったくないです。
ーこれまで相談にこられた方もたまにいらっしゃっるんですか?
そう、たまに訪ねてきます。だから帰れる場所にもしたいです。
シェアハウス「由来ハウス」に入居してほしい人とは?
ー今後、由来ハウスにどんな女性が入居してほしいですか?
私から「どんな人」ということはないです。どんな人でも私は受け入れます。
これから社会に自立していく女性はどんな人でも受け入れて、その人の人生に寄り添いたいと思ってます。だから私はどんな人でも、自立を支援していけるかなと思っています。
ーちょっと感動しています。そうやって断言できる人ってなかなかいないと思って。
ひだまりさんがするシェアハウスに、そんな最悪な人はいないと思うので(笑)
それに今でも過去にゆりかごに預けた人が、私をお母さんとして訪ねてくれたり支えたりしてきたので、大丈夫だと思います。
ー確かに(笑)
だからそういう人を今でも支援しているでしょ。親に恵まれなかったり、シングルで育てたり。あとは性被害にあって、まだ社会に自立できない人とも関わったりしているので、もうすべての女性ウェルカムです。
ーそれは心強いですね。
自分の子どもを3人育てた経験もあるので、子育てノウハウには自信があります(笑)。
田尻さんの最近の活動
あと最近は、性教育にも取り組んでいるんです。
ーいってましたね。
特に男性に対してしっかり伝えています。基本的に、女性を苦しめた男性は表に出ないじゃないですか、女性だけでは妊娠しないのに。妊娠させた男はどこにいるんだって(笑)。
だからいま中学生や高校生に性教育をするとき、女性ばかりがそういう思いをしないように伝えています。「性行為をするということは、命が生まれるってことだからね」と。命の誕生があるんだよっていう話をしています。
ーすごいですね。最近はアフターピルも購入しやすくなりましたしね。
そうそう。やっぱり妊娠したかもしれないって相談もたくさん受けてきたんですよ。だからいつ性行為をしたのか、相談のタイミングによっては24時間以内に緊急避妊を飲みなさいって話すんです。
今まで病院に行かないと処方されなかったけれど、そういう人は病院に行けないんですよね。
シェアハウスの名前の由来と意味
ーでは、今までのお話とかぶるんですけど、最後に由来ハウスの「由来」にはどういう意味があるんですか?
「ゆ」は私・由貴子と、娘・ゆかの「ゆ」。そして「由」っていうのは始まり、拠り所っていう意味があります。「来」は未来。
女性の拠り所にしたい、これから生まれていく人たちが未来に向かって生きていけるようにしたい。そういう意味があります。
ーじゃあシェアハウスもそういう場所にしたい?
そうですね。それを願っていますね。
女性が賢く、しっかり自分を持って生きられる、命を大事にする女性に育ってほしいんです。
もちろん男性もしっかりする必要はありますが、身を守るのは女性なんですよ。自分の身を守り、命をつないでいくのは女性。男性から命のもとをもらっているけれど、私は決定権は女性にあると思うんですよ。自己決定権。
だから変な意味での賢くではなく、自分を大切にし、あと自分の愛を持って生きるっていう意味で賢くなってほしい。
私が職業人、看護職として大事にしてきたのは「人間愛」なんです。本当に最終的に残るのは看護のケアにしても、愛なんですよ。
愛の心を自分が持っておかないと愛を与えられない。だからそういう気持ちを女性にしっかり持ってほしいなあと思っています。
最後にひと言どうぞ!
ーありがとうございます。最後にひと言お願いします。
シェアハウスで楽しく、いろいろな女性と楽しい人生を送りましょうっていうメッセージを持っています。「1人で孤独で悩まない」。
何でもこのおばさんに打ち明けてほしいし、「ともに人生を歩みましょう」ということが私の最終目標ですかね。
ーありがとうございます!
【由来ハウスの基本情報】
・家賃+共益費:3万800円+1万円
・部屋数:3室
・住人の数:最大3人
・最寄り駅:産交バス「戸坂入口」、市営バス「四方池」
→「由来ハウス」の詳細はこちら!
https://sharehouse-hidamari.com/yuraihouse
まとめ 由来ハウスはすべての女性を受け入れるシェアハウス
今回は、女性のためのシェアハウス「由来ハウス」のオーナーである田尻さんにお話を伺いました。
赤ちゃんポストができる経緯や取り組みなど、なかなか聞くことができないお話が盛りだくさんでした。
また「シェアハウスではどんな女性でも受け入れる」というひと言は、入居を考えている人にとってはとても心強いのではないでしょうか。
田尻さんがオーナーである由来ハウスは、11/1より見学を受け付けています。気になる方は、ぜひ1度シェアハウスの様子を見にきてくださいね。
→「由来ハウス」について詳しい話を聞いてみる!
https://sharehouse-hidamari.com/inquiry